成長の証

本日、午前単独診療・午後初診の診療同行。

 

単独診療は今日で3-4回目くらい。

当初は行きあたりばったりなことも多く、行ってから「何を聞こう?」「診察はどこまでしよう?」と考えることもありました。

カルテからの予習不足と言われればそれまでですが、患者さんの顔や性格・周りの環境が分からない中、どこまでのことができるのか試行錯誤でした。

 

が、ここにきて、徐々に慣れてきて、難しい人でも、自分の対応次第でどうにかできたり、たとえできなくても、それに準ずるorいずれその診察が必要になることを丁寧に患者さんに説明できるようになりました。

 

1カ月では1,2回しか単独診療ができませんが、2か月いたことによってのメリットがここで出てきたのかなと思います。

 

そして、診療に余裕がでてきたことで、医療の方へもより頭を使えるようになりました。

大きな病院とはさすがにできる検査も違うので比較できないほどですが、血液検査然り、抗生剤一つ然り、愛媛でゆっくり本を読む時間もできているため、実際の現場で対応を検討することができています。

 

この余裕を東大に持って帰れたら・・・。

不可能なことはわかりつつ、東京の喧騒を思い出し辟易としている自分がいました。


取り戻す

本日は午前単独診療、午後診療同行。

 

今日診療に伺った方。

退院してきた今、少しずつのリハビリが実り、自分で起床して端坐位になることができるようになりました。

訪問した時には実際にやって見せてくれて、「おー!」っと拍手するとにこっと笑います。

 

認知症の方とのかかわり方について書かれた本を先日一井さんから勧められました。

 

「ユマニチュード入門」

 

この患者さんの場合、認知症ではありませんが、同じことが言えることが記載してありました。

それは、「その人のレベルにあった介助を行うこと」。

こちらが良かれと思っても、過剰な介助はむしろ毒にしかならない。

適度な介助によって、その人は自分で自分らしさを取り戻すために頑張って努力をする。

 

この患者さんをみて、なにか自分の一部を取り戻した、そんな笑顔でした。


研修の成果

本日は午前診療同行、午後単独診療。

 

前回の単独診療では反省がいっぱいでした。

どう会話をすればいいのか、なにを言っても大丈夫なのか。

前回からまた時間がたち、先生方からのアドバイスを胸に再挑戦です。

 

結論から言うと、飽くまで主観的にですが、前回よりは自然に行えたかと思います。

しっかり挨拶をして、しっかり診察をして。

何気ない会話を投げかけつつ、普段の生活を観察してくる。

緊張しすぎるとそれが患者さんに伝わって、そのひきつった顔は家族の顔もひきつらせます。

いい意味で気を抜いて、締めるところは締める。

 

病院で当たり前のようにできていた(?)ことが、患者さんの家では難しく感じる。

毎回同じようなことを書いている気がしますが、すぐに気づくことではありますが、これがまた解決するのに難しかったりする。

でも、今日のように患者さんと楽しくお話して帰ってくる日があると、1カ月半研修をしてきて、少しは在宅医療が自分の身になっているのかなぁと嬉しくなったりします。

 

残り2週間で僕の愛媛での研修も終わります。

今は最期の研修発表の準備も並行で行っているところです。

自分の考えをまとめて、他人がわかるように伝える。

自己満足にならぬよう頑張ります。


緊張、緊張、

本日は午前午後ともに診療同行。

 

2カ月の地域医療研修も残り2週間程度ということで、診療同行で行っても、1人でいったのと同じ状態で自分で診察から薬の処方までさせていただく機会が増えています。

 

今日も初めて訪問する家がありましたが、毎度毎度思うことが、やはり初めての患者さんの診療をするのは緊張する。

まして、病院という医者にとってHOMEの場所ではなく患者の自宅というAWAYで仕事を行うことは、すごく緊張します。

 

また、家に入るときから家を出るまで。その間は、その家のルールに従う必要があります。

(僕が勝手に過剰に思い込んでいるだけかもしれませんが)

 

家に入るときに手を洗う。マスクをする。吸引の時に清潔操作をする。こんな言葉を発してはいけない。などなど。

病院で当たり前のように行っている一つ一つの行動・行為に自分が緊張してぎこちなくなっていることがよくわかります。

 

患者さんが一番安心できるから自宅での診療を行おう!と考える以上、医者も例外でなくその安心する自宅でのルールに従う必要があります。

でも、緊張しすぎるとそれが患者さんにも伝染して、問診など十分に行いたくても情報が引き出せない場合もあります。

1カ月半在宅医療の現場にいてもまだまだです。

 


共感の作用

「死にたい」と患者さんから言われたらどう答えるか?という話がでました。

 

痛みや呼吸困難でその逃避目的に「死にたい」と発言している場合は、医学的に薬などで対応が可能です。これは簡単。

では、年を取りすぎて何をすることもなく、ただ寝て食べて、足も悪い為外にも行けず。

これが退屈だから「死にたい」と言っている場合はなんと答えたらよいか。

 

30にもならない自分が100歳の高齢者の退屈な気持ちなど到底理解できません。

永井先生に言わせれば、それに適当に理屈をこねて返事をしても、所詮は上っ面、すぐ化けの皮が剥がれる。

 

大事なことは「まずは共感すること」。

「死にたい」気持ちを、「死にたいんですね」と受け入れることから始める。

簡単そうに見えて難しいこと。

何しろ、理由を作って返事することはないけれど、死にたくない気持ちの自分が死にたい気持ちに同調しなければならないのだから。

 

でも、難しいとはいえ、今の超高齢社会では避けられない話。

医学の進歩によって伸びた寿命だけど、健康寿命はもっと短いわけだから、ただ手放しに喜んでいることもできない。

医学を進歩させた分、人間は高齢者とのコミュニケーションについても気を配る必要がでてきています。 


老々介護

本日は午前がたんぽぽのおうちから退院するための退院時カンファレンス、午後が診療同行。

 

介護者・家族と患者の間で意見が異なる場合はとても難しいです。

原則、本人の希望がかなえられるように。本人が後悔ないように残りの時間を過ごすことがベストです。

 

そして、それを叶えるために在宅医療は大きな力を発揮しています。

しかし、そこには大きな欠点があって、それは介護する側に十分な力があるという条件付きということです。

だからこそ、訪問看護や介護ヘルパーなど世の中には様々な職種が活躍しているわけです。

しかし、それらを用いてもやはり経済的・法的条件によって限界を突破してしまう場合は、最終的に力になるのは家族になります。

 

老々介護。

これが日本の多くの家々で見られる現状です。

超高齢社会でこれはもはや避けられません。

実際に介護するわけではない医者や看護師たちが如何にしてこの状況を改善するのか。

ただただ医療のことだけ考えていればいいわけではなく、患者の背景まで考えた上での工夫が、現代の日本では求められているようです。

 

 


再認識

本日は午前午後とも診療同行。

 

GW明けの一発目の平日。

もちろん先生方は24時間往診対応されていたため連休ではなかったわけですが、それでも連休明けの月曜日は往診が多くなっていました。

 

今日は褥瘡の方が多い一日でした。

 

褥瘡はまず作らないことが大事。

大学病院にいたって看護師さんたちが積極的に体位交換など行っていることは知っています。

が、褥瘡によってここまでひどくなることを初めて目の当たりにしました。

残り3週間で治癒する方をみるのは難しいかもしれませんが、褥瘡も大きなトラブルの一つなのだと再認識して、勉強できればと思います。


生かされて

本日は午前午後とも診療同行。

 

頭では「患者さんあっての医者」と分かっているつもりでも、ありがたやありがたやと言われているうちに忘れてしまう。

それが、いざ「申し訳ないから」と診療を断られてしまうと、まさに「医者泣かせ」の何物でもない。

医者は仕事を失ってしまう。

 

少し気づき方は屈折しているかもしれませんが、改めて「医者は患者さんあっての医者。生かされているのは医者の側」

と感じました。


人間として

益田先生が大阪へ帰ってしまいました。

大きな机に僕一人になり寂しいものです。

 

本日は午前午後とも診療同行。

午前の宇都宮先生からは在宅酸素についてご教授頂きました。

 

医者の場合。外科がお腹を切っても一般的に傷害罪になりません。

服を脱いでもらって触診や視診を行っても一般的に犯罪にはなりません。

 

普通の方が行うと犯罪になることが医者なら許される、その理由は2つ。

一つは国家資格としてその行為が正当であると担保されているから。

二つ目が相手との信頼関係があるから。

「この先生はよく診察してくれる先生だから。」「優しいから。」「腕がいいから。」などなど。

 

信頼関係があるから何をやっても許されるなんて綺麗ごとを言うつもりはありませんが、少なくともないよりはましです。

 

医療者にとっての当たり前が、患者にとって当たり前でないことは少なくありません。

医療者としての前に、まずは「人間として」の信頼関係をコツコツ築く必要があります。

 

 


感謝

今日は地域研修最終日でした。

はじめは愛媛県に1ヶ月かー、と思っていましたが、今となっては

大阪にとてもとても帰りたくありません。恐るべし愛媛。

 

 

1ヶ月という期間は在宅医療を学ぶにはとても短い期間でしたが、自分の将来の選択枝に在宅医療が加わるほどの影響を与えてくれました。

 

医療のメインテーマを生と死とすると、大学病院は生、在宅医療は死と向き合っていると感じました。

そして、どう生きるかと同様に、どう死ぬかも大切なのだと学びました。

 

今までは考えてこなかったことを考え、また、今までで一番自分と向き合うことができた1か月でした。

この経験を大学病院にもどってからも活かし、「病気」ではなく「人」と向き合っていきたいと思います。

 

短い期間でしたが、ここでしかできない貴重な経験ができました。

こちらの希望にあわせてスケジュールを調節していただけたおかげで、経験したかったものはすべて経験することができました。

指導していただいた先生をはじめ、コメディカルの皆さんには大変お世話になりました。

充実した研修生活が送れたのはみなさんのおかげです。1か月間、本当にありがとうございました。

 

近畿大学医学部付属病院 益田 康弘


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